天皇弥栄(すめらぎ いやさか)  慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
第5回 皇位継承問題と大御心

■皇位継承問題と大御心
 よく「大御心(おおみごころ/天皇の意思)」という言葉が間違って使われているが、大御心とは皇祖皇宗の遺訓に他ならず、今上天皇の個人的な意思のことではない。
 葦津珍彦先生は「天皇の地位が世襲的なものである以上、天皇の意思と云ふのも世襲的なものでなければ意味をなさない」と仰った。また先生によると、大御心は天皇の個人の意思よりも、遥かに高い所にあり、また大御心とはすなわち日本民族の一般意思であって、時代によって変化する民衆の多数意思よりも貴いという。
 したがって、もし天皇がそのような大御心に反する事を仰せになったなら、これは「聞いてはいけない」ということになる。幕末に孝明天皇から第二次征長戦争の勅許が降りた時、大久保利通が西郷隆盛に宛てた書簡には「非義の勅命は勅命に非ず」と書かれていたことはよく知られている。本来勅命は天下万民が承知してこそ勅命なのであり、この勅命には大義が無いから勅命とは言えないので、自分はこれに従わないというのだ。
 この考え方によれば、もし天皇の個人的な御意思と大御心が食い違った場合には、当然大御心を優先させなくてはならないのである。

■皇位継承の大御心は如何に
 したがって、大御心とは今上天皇の個人的な意思とは直接関係がないため、必ずしも玉体から発せられる必要はない。よって、皇位継承の問題について大御心を知りたければ、陛下から御言葉を頂戴するまでもなく、日本書紀から続く我が国の正史を読み込めばよい。そこに先人たちが繰り返してきた皇位継承の不変の原理が記されている。そして、その原理こそが大御心なのである。
 皇位継承が万世一系の男系によって継承されてきたことは歴史の事実であり、この不変の原理に反する女系天皇容認などの考えは、すなわち大御心に反すると考えなくてはならない。
 にも関わらず政治家や官僚、そして言論人までもが自由に天皇の大御心を語り、皇祖皇宗の遺訓に反する論を正当たらしめようとすることは、厳に慎まなくてはいけない。

■陛下に政治発言を求めてはいけない
 総じて、天皇陛下に皇位継承の問題についてお考えを伺うことは、全く意味が無いばかりか、大きな問題を孕んでいる。
 私は天皇陛下が皇祖皇宗の遺訓に反するような御考えをお持ちになることはないと考えるが、個別の法案についてご意見を表明されることは、憲法の原理からして相応しくなく、またもし反対のご意見だった場合は、大御心に反することになるので、非義の勅命の理論を展開しなくてはいけないことになる。
 したがって、陛下がいずれのお考えであるにしても問題が生じるので、政治家が易々と陛下に政治発言を求めるべきではなく、まして根拠もなく「陛下の御意思」を語るなど言語道断である。

■御聖断は国体を守る最終局面
 しかしながら、もし国民が皇統の問題で大御心に反する法案を可決する運びになった場合、それを踏みとどまらせるのは陛下お一人しかいらっしゃらない。
 我が国の憲政史上において、天皇の発言が政治を決定し、もしくは重大な影響を与えたのは、二・二六事件の鎮圧、白紙還元の御諚、終戦の御聖断の三例に限られるが、いずれも我が国が滅亡の淵に立たされた時に、日本を救う方向に機能した。
 だが、陛下に御聖断を仰ぐ事態は、極めて異常な事態であり、国体や皇統の危機でなければ発動されるべきではなかろう。勿論現行憲法で天皇の御聖断が国策を決する理論は存在しない。だが、天皇が国会で可決した法律の公布を拒否されることによって、法律が効果を持つことを防ぐことは、理論上可能である。
 国民はそのようなことで宸襟を悩ますことのないように、皇祖皇宗の遺訓たる大御心を読み違えないようにしなくてはいけない。