フランス料理シェフ 三國 清三
第1回 僕と増毛の海とホヤガイ

 僕の生まれは増毛町である。父は漁師、母は農業を営んでいた。いわゆる半農半漁である。その為、海の味、地の味を無意識のうちにそれも誰よりも早く瞬時に判断出来てしまう。それは札幌で働いていたときも、東京でも、またヨーロッパでも、ミクニフェアを行った世界各国のどの国でも僕が一番早かった。自分でもこの感覚の鋭さに驚くほどである。
 ここ近年、僕は全国各地の小学校で料理の時間を受け持つようになった。小学生に塩味、甘味、酸味、苦味の四つの味覚を憶えてもらうためである。小学生のときにこの四つの味覚を舌に記憶させておかなければ、大人になってから味音痴になってしまう。それぐらい味覚はひとの一生に大きく影響する。今日この四つの味を正しく記憶している大人が極端に少ない。だからそういう大人に代わって僕が四つの味覚を子供達に伝えているのである。今の子供達には本当の意味で人生を豊かにしてもらいたいのだ。
 僕の生家は増毛でも一番か二番の貧乏で子供心にその環境が類い稀なものであることを感じていた。しかし、僕は今、そのことをありがたいことだと思っている。なぜなら、その御陰で僕のこの舌は鋭敏な感覚を培うことができたからだ。
 日本海に大時化や台風が来ると親父は漁へ行けなくなるので一家の食べ物がなくなる。そうすると僕と親父は朝早く浜に出かけて行って、打ち寄せられた色々な物を拾い集めたものだ。トド、魚、昆布、アワビ、そしてホヤガイ。パンパンに張ったホヤガイをその場で切って、海の水で洗って一口で食べる。その風味の素晴らしいこと。塩味、苦味、甘味、内臓の酸味が究極のバランスを保って口の中に広がる。僕は未だかつてホヤガイほどハーモニー豊かな食べ物に出会ったことがない。ホヤガイを食べる度に今でも、親父と出かけて行ったあの浜の情景が目に浮かぶ。僕はこうして小学生のころから知らず知らずのうちにバランスよく塩味、甘味、苦味、酸味を自分の舌で憶えていったのである。だから貧乏も決して捨てたものではなかったのだと、僕は神様に感謝しているのだ。そして三國家が昔から神道に仕えていたからこそ、神様に感謝する気持ちを持てたのだと思っている。
 僕はこうして世界一敏感な舌を持った。それを今、子供たちに伝えているのである。