八百万(やおよろず)の神に守られて   元サッポロビール博物館長 今堀 忠国
第3回 苦しい時の神頼み

 札幌まつりの季節にきまって思い出すことがある。二十代の半ば、札幌駅前通りで渡御の行列を見物していると、なまめかしい声がかかった。
 「イ、マ、ホーリーさーん」
山車を見上げると、真っ白い顔の女性が手を振っている。白粉の厚化粧のせいで誰なのかわからないが、とりあえずこちらも手を振り見送った。
 きっと、ススキノのきれいどころのはずだが、はたして何処のどなた様だったのか、今でも思い浮かべると甘酸っぱい気持ちになる。
札幌まつりは夏の訪れを告げる行事だ。新緑にライラックやアカシアの花が映える街を平安絵巻の行列がゆく。笛と太鼓が「ピーヒャラ、ドン」と胸をときめかせる。
 今年は全国的に暑い夏になるらしい。近年は北半球全体が高温化している。地球温暖化は近未来の人類の生存に関わる大問題だが、主な原因はガス排出など人為的なものというのが定説になった。
 本米国副大統領、アル・ゴアの『不都合な真実』は映画化されてヒットした。英国のジェームズ・ラブロック(生物物理学者・医学者)の近著『ガイアの復讐』もメディアで何度も紹介された。「ガイア」とはギリシャ神話に登場する「大地の女神」のことだ。
 ラブロックの思想は、神道に通じるものがある。
「ガイア理論」では、地球全体を「ひとつの生命体」ととらえる。地殻深部から陸・海・大気圏に至る広い領域に存在する生物・非生物が「地球総合システム」を構成する。
 一方、神道では「自然界の森羅万象の存在や現象」を畏敬してカミと呼ぶ。神社のご神体には生物も非生物もあるが、日本人の心には「八百万の神」が深く根付いている。
英国人のラブロックの学説が、日本で二千六百年余り受け継がれた神道の考えと似ているところが面白い。
 地球には生命があふれている。現在のところ、動物が118万、植物が二七万、菌類などが30万、あわせて175万種だが、未知の種が多く、全体では1千万〜3千万種と推計される。
温暖化の被害は人類以外にも及ぶ。今世紀末には全世界で動植物の種の三十%が絶滅する恐れがある。生態系が壊れると悪夢の循環が始まる。
 四十年も昔、山車から手を振った“白粉娘”を追憶している場合ではない。ヒト科ヒト属ヒト種の人間は、一隻しかない「宇宙船地球号」の針路を決定する船長なのだ。
「森と海は恋人、川が仲人」という言葉がある。山奥の落ち葉の栄養素が川を流れ海に運ばれる。プランクトンが育ち、藻が茂り、小魚が群れ、大魚が集まる。山と川が健やかだと海も豊かになる。だから食物連鎖の頂点にいる人間には、森を守る義務がある。
 そして「生態系ピラミッド」の大きな底辺は、微生物のシャドウ・ワーク(目に見えぬ裏方作業)で守られている。肥沃な水田の土壌には一グラムに最大四三億個の細菌が生きている。六五億人が生きる地球なみのミクロの宇宙だ。
 微生物の発酵作用がないと陸と海は動植物の遺体で埋め尽くされる。微生物が黙々と分解作業をするので、輪廻で蘇った生命がきらめく。
 私は定年後、現役時代の罪滅ぼしに『NPO新山川草木を育てる集い』に入会した。山川草木は森羅万象と同義の言葉だ。いつも週末は当別町の林で植樹や育樹の肉体労働をしているが、北海道神宮で奉仕作業をすることもある。
 神宮には日本でも稀な原生林があり、カシワ・ミズナラなどの巨木が点在している。樹齢は最長五百年。境内には神域の尊厳性を高めるスギ・サワラがあるが、近年は痛みが目立つ。神言の森林整備には二〜三百年先を見通した超長期の計画が必要だ。
地球はいま温暖化で絶体絶命の崖っぷちにいる。人類は難局を打開できるだろうか。
 私は微生物のような存在なので、植樹活動に微力を尽くし、あとは賽銭を出して神頼みすることしかできない。
 読者の皆さんも、札幌まつりの「ピーヒャラ、ドン」という鼓笛隊の音が聞こえたら、ぜひ森羅万象の生物が末永く生存できるよう「苦しい時の神頼み」をしてください。