八百万(やおよろず)の神に守られて   元サッポロビール博物館長 今堀 忠国
第1回

 「古新道は、真水のようにすっきりとしている。」司馬遼太郎は著書「この国のかたち」にそう書いた。日本有数の古い神社である奈良の大神(おおみわ)神社を再訪した時の印象だが、この神社の神体は三輪山という山そのものだ。
 北海道神宮の歴史はそう古くない。明治四年に「札幌神社」として現在の円山の地に社殿が造成された。祭神は開拓三神である。昭和三十九年「北海道神宮」に改称すると同時に明治天皇を増祀し、祭神は四柱になった。
 私はサッポロビールに長年勤務した。サッポロビールは札幌圏に三つの神社を祀っている。一つは中央区のサッポロファクトリー。石碑に明治九年創業した開拓使麦酒醸造所の由来が刻んである。もう一つは東区のサッポロビール博物館。かつてここには札幌第二工場があった。両神社は開拓三神を分祀している。
 三つ目の恵庭市の北海道工場は、平成元年の竣工なので明治天皇も祀ってある。明治天皇には逸話がある。明治十四年、醸造所に行幸された折、酒豪の陛下はビールを大変お気に召し、お泊りの豊平館でも痛飲してすべて飲み干し、夜半醸造所から追加のビールを届けさせた。ビールがお好きだった明治天皇は、工場の神社からサッポロビールをご加護くださっている。
 三つの小さな神社には例祭があり、毎年神主さんにおいでいただく。各部署の管理職が神妙な顔をして参拝する。お祓いが終わると役得がある。神主さんを囲んで、ビールが飲めるのだ。
 「お神酒あがらぬ神はなし」
という、ことわざがある。神様も酒を飲むのだから、人間が飲んでも悪いわけがないという理屈だ。部下に仕事をさせて自分は昼から酒を飲む。いくら職務でも、うしろめいた気分が少しある。そんな時この言葉を使うと飲酒行為が正当化され、真水のようにすっきりした気持ちになれる。
 神社の境内にある「直心亭」にも思い出がある。サッポロビールが創業百二十五周年を迎えた年、神宮さんがお祝いの宴を用意してくださった。私は先約の講演を済ませてから駆けつけたが、熱弁の後はビールが格別うまい。遠慮なくお代わりを頂戴していると宮司さんに質問された。
 「それは楽器ですか?」
 「はい、ウクレレです」
 私の講演はウクレレ演奏入りである。大声で歌うと、ぐっすり眠っていた人も目を覚まして拍手してくれる。冗談話に耳を傾けていた宮司さんは、次にこうおっしゃった。
 「ぜひ、ここでハワイアンの歌を披露してください」
 しかし直心亭の裏手には拝殿、本殿がある。神聖な場所で異国の音曲を演奏してもよいものか率直に尋ねてみた。
 「たしかハワイも昔は神道と同じ多神教でしたね」
 さすが宮司さん、ハワイの原始宗教は精霊崇拝による多神教だ。あらゆるものに神が宿る。主神はカネ、カナロア、クー、ロノの四神。カネは生殖神、カナロアはカネの敵対者でキリスト教の悪魔のような存在、クーは大地の創造神、ロノは天の神である。有名なのは火の女神ペレだ。
 さらにハワイ王朝、最後の大王カラーカウアが明治天皇に面会し、米国の併合から王朝を守るため、皇室との婚姻関係を求めた歴史もある。
 そんな前置きをしてハワイの州木ククイの実のレイを首に掛け、伝統的なハワイアンを披露した。神道とはなんとおおらかな宗教なのだろう。
 私は深く感動し、伝統酒の日本酒もいただくことにした。巫女さんがお神酒の一升瓶をかかえて正座する。ごくりと一口いただくと、すかさず注いでくださる。またごくりとやるとすぐに一升瓶が差し出される。竜宮城の浦島太郎のように、ただ珍しく面白く夢心地になった。
 酒で名高い神社は三つある。前述した奈良県桜井市の大神神社、さらに京都市の梅宮大社と松尾大社だが、そこではどんな味酒(うまさけ)が飲めるのだろう。大変興味があるが「お神酒あがらぬ神はなし」と突然訪ねても、門払いされるのが落ちだ。やはり私には、北海道神宮が唯一の「救いの神」なのだ。