シンガーソングライター 五十嵐 浩晃
第2回 学生時代の僕

 僕の父は高校の体育の教師だったから、学生時代は転校の連続だった。美唄で生まれ幼少期を過ごした後、苫小牧西小学校に入学し卒業は月形中学校という具合だ。もともと暗めの性格だった僕は、転校生特有の引っ込み思案な静かな生徒だったと思う。それでも夏は川で魚釣り、山では漆にまけながらも苺やコクワの実を採り、冬はスキーにスケート、雪合戦と、北海道の大自然を大いに楽しむことが出来た。小学校に入った頃に丁度東京オリンピックが開かれ、女子バレーボールの優勝シーンと裸足の王様アベベの姿に胸を熱くした思い出がある。しかしその時代の思い出は、なんと言ってもビートルズの来日である。子供ながらにも「カッコいいメロディーとコーラスだなぁ」などと感じた記憶がある。早速四歳上の兄貴がギターを買ってもらい、フォークソングと洋楽の練習を始めた。そんな姿を羨ましそうに見ていた僕の気配を感じたらしく、「絶対にギターを触ってはダメだぞ」と言い残して毎日学校へ行く兄だったが、上級生とは帰りが下級生より遅いのが常。僕は兄が帰宅するまでの間、こっそりとギターを練習することが何よりの楽しみとなっていた。学業では兄貴と姉貴には適わなかったが、持続力で彼らを上回っていたため、いつの間にかギターの腕は兄貴よりも上達し始めていた。こうして転校生で末っ子の、引っ込み思案な暗めの僕は音楽の中に、自分の居場所を見つけるようになった。
 高校で三度転校した先は、静内高校。馬と昆布で有名な日高地方は、壮大な緑の中に海の香りがする美しい地域だったと思う。大学受験も間近に迫った頃、最後の学校祭の思い出に何か曲を作ってみようという話が持ち上がり、ギターを弾けるという理由で僕にその役割が回ってきた。どんな曲を作れば良いのか途方に暮れながら家に帰る途中、海岸沿いで昆布漁をするおじさん達の姿を発見。青い空に光る汗、そして潮の香り…ふと浮かんだ詩とメロディーに「これだ!」と、飛ぶように家に帰って作った曲が、後に静内高校内放送で超ロングヒットとなる『コンブとりの唄』である。「君にはわかるだろう、あの懐かしい砂浜のこと。みんなで汗をだして、さぁ始まるぞ!コンブとりの唄」と文字にすると赤面しそうな歌だが、これが大衆の前で歌って拍手をもらった記念すべき最初の曲なのである。この一曲で僕は学校の人気者になり、しかもこの一曲から僕のシンガーソングライターへの夢は始まった。
 人生とは不思議なものだとつくづく思う。生まれたのは美しい唄の町・美唄で、母の名は詩という文字をもつ都詩子、初めて作った歌のテーマを見つけたのは静内町真歌山野鶯谷を歩いていた時。たまたま色んな不思議が重なったとも言えるかもしれないし、これを縁と言うのかもしれない。ふとした時に縁の中に転機を見つけることが、誰にでもあると思う。僕の場合シンガーソングライターになれたのも、北海道という自然の大地がくれた縁と、メロディーラインなのかもしれない。