参議院議員 橋本 聖子
第3回 新たな夢へ

 熱い戦いが繰り広げられたオリンピック・アテネ大会。アスリートとして7度のオリンピックを経験しましたが、今回は初めて観客として競技場を訪れることができました。
 会場周辺の警備の厳重さには驚きましたが、競技場を包む独特の雰囲気は以前と変わりありません。選手達の表情も夢や希望、緊張や決意に輝き、乾燥した空気と強い日差しが尚一層その色彩を鮮明にしているかのようです。
 今大会の日本人選手の活躍は予想をはるかに上回る素晴らしいものでしたが、思わぬ敗北を喫した選手もいました。しかし、すべての選手の人生から見れば、オリンピックはいろいろな意味で一つの通過点であり、決してゴールではありません。限界まで努力していれば、負けても達成感を得ることができますし、勝者に対して心から賞賛を贈ることもできます。そして、その達成感こそが次なるステップアップ、新たな夢への原動力となります。
 8年前に開催されたオリンピック・アトランタ大会は、議員になってちょうど1年後でした。自転車競技の選手として参加したこの大会では、アスリートとしてはもちろん、一人の人間として、そして政治家として本当に多くのことを学びました。
 当時、議員活動に支障がないように、練習は睡眠時間を削って夜中に行っていました。午前3時に起きて自転車に乗り、朝8時から党の部会に出席、日中は議員の仕事をこなして、夜9時から2時間のウェイトトレーニングをする毎日です。地方での講演が多い土日は、移動の際に自転車で山越えするなどして練習に充てました。両立は不可能だから、どちらかを辞めるべきだという意見も聞こえてきましたが、私にとっては政治家もアスリートも“夢”であり、楽な方へ逃げることを自分自身が許しませんでした。
 しかし、私はこの大会を最後に、アスリートを引退しました。体力や情熱に限界を感じたからではありません。政界からは「練習もしてない人が勝てるほど、自転車界はレベルが低いのか」と言われ、スポーツ界からは「これだけの記録を出せるなんて、政界は仕事をしなくていいところなのか」と言われ、迷った挙げ句の選択でした。二足のわらじを履くことが両方の力になると信じていましたが、どちらも傷ついていることが辛く、何かに負けたのです。
 「結局自分は、苦しいことから逃げたのではないか」と自問自答が続き、引退した頃は切ない気持ちで一杯でした。しかし、葛藤は過去の自分を責めることから、未来の自分を奮い立たせることへ向き、やがて夢に変わり、私の新しい原動力になりました。夢を大きく育ててくれたのは、葛藤の深さかもしれません。
 短期間の滞在でしたが、近代オリンピックの原点であるアテネで、なぜ自分が練習に打ち込めたかという原点を再認識したように思います。