参議院議員 橋本 聖子
第2回 私の師

 心の拠りどころとなる師は、人生にとって大切なものです。しかし、常に師とともにあり、相談することができる人は、むしろ稀なのでしょうか。
 長年スポーツをやっていたので、指導していただき、感謝しなければならない恩人は多いのですが、振り返ってみると、生涯を通しての師は祖父一人であったように思います。
 道に迷って困り果てたとき、「師」は、過去の記憶の中に見つかりました。子供の頃教えられたことは、意味がよくわからないまま身についてしまっていることもあります。あらためて今だからこそ、その意味がわかるのです。一つの教えに対する十代の頃の理解、二十代の頃の理解、そして、人の親となってからの理解は異なり、年々深くなっていくように感じます。
 私の故郷は、北海道・苫小牧市近郊の早来町の牧場です。いききとした生命が溢れ、四季折々に美しいところですが、冬の生活環境は本当に厳しく、小さな判断の誤りで、作物や家畜ばかりでなく、時には人間の命を奪う危険もあります。
 私が生まれた時には、すでに亡くなっており、一度も会うことができなかった祖父は、大正9年、宮城県から、この地に開拓に入りました。来る日も来る日も、人が歩けないような場所をこつこつと切り拓き、畑を作ったそうです。筆舌に尽くせないほど、非常に厳しい生活だったといいます。しかし祖父は、たゆまず耕し、切り拓いたのです。
 祖父の背中を見て育った父は、「どうしてこんなところで暮らさなければならないのか」と恨めしく思ったこともあったそうです。しかし、父は、そんな生活の中で、自然や生命に対する畏敬、忍耐や感謝、工夫する知恵といった「生きる力」を体で覚えたといいます。
 人生の師は「指示してくれる人」ではありません。導(しるべ)を見て、どちらに進むか、最終的に決めるのは、自分自身です。
 アスリートとしては、健康に恵まれなかったので、何度も挫折を経験し、壁にぶつかりました。一所懸命やればやるほど、わからないということや迷うことがあります。できないことを悔しいと思い、あんなふうにしたい、こんなふうになりたいと思うようになります。
 しかし、現役時代、「誰かに勝ちたい」と思ったことはありません。他人との勝ち負けではないのです。自分自身が「もうこれが限界だ」というところまで、努力していれば、自分が勝利できなくても、勝者に対して、心からの賞賛を贈ることができます。
 祖父の口癖は「50年先、100年先を考えて開拓に入った」というものでした。奇しくも春秋時代の中国の政治家、管子(管仲)は「百年先を楽しむには人を育てよ」という言葉を残してします。祖父は、土を育て、牧場を造っただけではなく、開拓事業を通じ、その生き方をもって、子を教え、育てました。百年先に夢を馳せた祖父の開拓精神は、今も私の中に生きています。