がんばれ北海道   ノンフィクション作家 合田 一道
第11回 歴史から見えるもの(11)―迷妄に挑んだ梨本弥五郎―

 積丹半島の神威岬沖の海底深く女の魔神が棲つき、和人の女性を乗せた船が岬を越えようとすると、風波を引き起こし覆沈させるといわれ、”女人禁制(にょにんきんせい)の海“と恐れられていました。この迷妄を破ったのが梨本弥五郎という幕府役人です。
 女人禁制の噂が蝦夷地(北海道)に広く流布されたのは、今から三百年も前のこと。日本海沿いに北上する船乗りたちはこの噂におののき、女性が密かに乗り込んだのを見つけると、船頭は魔神の崇りを恐れて船出を中止するほどでした。
 「江差追分」にある次の歌は、愛しい男性と別れなければならない女性の切ない気持ちを歌ったものともいわれています。

 忍路高島およびもないがせめて歌棄磯谷まで

 岬の向こうにある忍路や高島などとは言わない、せめて岬の手前の歌棄、磯谷まで連れていってほしいというものです。  男性の歌もあります。神威岬さえなければ、漁場まで連れていくのに、と詠んでいます。

 蝦夷地海路にお神威なくば連れていきたや場所までも

 幕府は安政二年(一八五五年)、蝦夷地支配を松前藩から取り上げて直轄地とし、梨本弥五郎を箱館奉行支配調役下役元締に任じました。翌年、転勤で宗谷詰めを命じられた梨本は、この機会に奥地の開拓を阻害している魔神を退治しようと決意します。そして怖がる妻や配下の妻子らを船に同乗させ、神威岬に差しかかるや、「世の迷いよ覚めよ」と叫び、岬の沖合に向けて銃弾を放ったのです。この一発の銃声により、長年続いていた迷妄は断たれ、女性の岬越えが相次ぎ、急速に開けていったのです。
 それにしてもなぜ、こんな奇妙な噂が広まったのでしょうか。たどっていくと元禄四年(一六九一年)に松前藩が出した「神威岬以北への女人通行禁止令」に行きつきます。
 松前藩はこの年、「ニシン保護禁令」を定め、北へ行く船を制限するなどの措置をとりました。同時に女性の通行禁止令を出したので、それがなぜか義経に捨てられたアイヌ娘の悲恋話などとも絡まって、不思議な伝説が生まれたのでした。
 梨本弥五郎は箱館にいた時、入港したイギリス船を訪れ、クワエヒル(ストーブ)を見て、新任地の宗谷に着任早々、景蔵というアイヌの若者にストーブを製造させています。進取の気性に富んだ人物だったのでしょう。
 この魔神伝説はしだいに消えていきますが、明治維新後も信じる人がいて、業をにやした開拓長官黒田清隆は、官船玄武丸に乗って小樽沖に出、魔神の棲む岩場に向けて砲弾を発射させます。だが誤って漁家の家に落ち、娘が死ぬという事件を引き起こしました。罪作りな話ですね。
 神威岬の突端まで足を延ばすと「女人禁制の海」を示す関門が立っています。夏、何も知らずに派手な水着姿で泳ぐ若い女性を見ると、歴史の流れを感じます。